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音楽コラム集|From アメリカ

【コラム】ざっくりアメリカ 第2回「1回や2回のアメリカツアーで黒字?」

2017.04.14

前回に続きまして、気になる「どうツアーをすれば、黒字になるのか?」の答えですが、ライブやって、ちょっとでもお金もらって、まったくお金を使わなければ、理論上「黒字」になります。 日本でも、ライブツアーは可能ですが、アメリカツアーの良いところは、土地が広いゆえに「毎日ライブができる」ことです。 1日の純利益が2,000円くらいでも、30日間毎日ライブすれれば、デビューしたての日本の芸能人のお給料と同じくらいのお金にはなります。 とにかく、アメリカって超広いです。嘘だと思うなら、ご存知の都市を4個くらい選んで車での移動時間をググってみましょう。 超広いゆえに、場所によっていろいろあります。 大抵の場合、旅行会社のトップページに名前が出てくるような大都市のクラブは、金払いが悪いです。 理由としては、土地代が高くて、クラブのオーナーさんも、バンドにホイホイお金払ってたら、家賃払えないからです。 東京都内と似てます。 逆に、比較的知名度の低い都市は、土地代が安いので、ちょっと気合の入ってる兄ちゃんが、それこそ500万円くらい貯めて、でっかい土地買って、手作りでライブハウス作って、好きなバンド呼んで、チケット代の上がり全部バンドにくれたりとか、バーの売り上げから、いくらかお支払いしてくれたりとか、さらには自腹切ってギャラくれたりとかします。 ほかには、ちょっとファンキーな大学生がシェアハウスの一室でパーティーするのに、バンドにギャラ払ってくれたりとか、いろいろあります。 中には、近くのキャンプ場借りて300人前後の規模のフェスを年4回くらいやって生計を立ててるトッポい姉ちゃんとか、そんな感じのことを毎週趣味とサイドビジネスの中間くらいでやってる歯医者のおじさんとかがいます。 逆に言うと、ツアーバンドもいろいろいます。 実際問題として、当時のバンドメンバーだったByrneちゃん(バーンちゃん。本名)は、今でも奥さんと2人組でバンド活動をしています。 でっかい車の中に住んでいます。 固定住所を持たずに、過去10年くらい、ずーっとライブツアーしてます。 微妙ですが、ベンツのでっかいやつ(彼らの家)を新車で買ったくらい頑張ってます。 Byrneちゃんの夫婦バンド。 後ろに写ってるのが、ご自宅です。 https://youtu.be/SzC5QVvHi38 実際、ツアーバンド(アメリカ国内のバンドを含む)に対しては、「遠くから、はるばる来たんだよ」なーんてことは、ブッキングの時点で向こうも十分わかっているので、お客さん来なくても「ゴメンね」みたいな感じで60ドルくらいくれる箱が多く存在します。 「日本から、はるばる来たんだよ」なんて話になったら、向こうにとっても一大事です。 一握りの有名な土地を除き、ほとんどの場所(とくに内陸)では、日本人なんてウーパールーパー級に珍しいので、一応重宝されます。 ギャラがゼロなんてことは、大都市の世知辛い箱か、よっぽどの鬼か、よっぽど自分たちの演奏がショボかったか、よっぽど自分たちの素行が悪いかのどれかです。 さらに、大抵の場合、箱には常連さんもいます。 物販も、一応良い演奏をしたら、ちゃんと買ってくれます。 1日の支出ですが、ガス代が最低でも平均で40ドルくらいかかります。 でも、歯ぁ食いしばって頑張れば、使うお金はそれだけです。 日本でのツアー活動を遮る大きな敵である「高速料金」は、ほとんどありません(まぁ、最近は、ひどい場所も出てきましたが...)。 最悪、毎日ライブやって60ドルもらって、ガス代引いて、20ドルくらいの上がりで、1食2ドルくらいの安い飯でも食べて、お客さんの家に泊めてもらったり、いろいろおごってもらったりで、一応「黒字」にできます。 ちゃんとした演奏したら、お客さんいなくても100ドルくらいくれることだってあります。 初めて日本からアメリカに向けてツアーする場合でも、飛行機代とか車代とかありますが、格安チケット買ったり、演奏者以外の余計なメンバー連れて行ったりしないとか、ぶち壊れる寸前の格安中古車とかを丁寧に使って頑張るとかで、気合入れて90日間くらい毎日ライブやったら、一応黒字にできるハズです。 さて、「黒字」になりました。 でも、本当に重要なのは、その後、2回目以降です。 その辺りは、次回。 プロフィール 斉藤健太郎 ギタリスト。1974年生まれ。ベストヒットUSA等、80年代音楽テレビ番組の影響をモロに受け、アメリカ音楽に没頭。そんなこんなで、18歳のとき、米国西海岸の某音楽専門学校に入学するため、渡米。1年プログラムの米国音楽専門学校において、日本の常識と米国の常識の違いに戸惑って、自分の無能さに落ち込んだ挙句、一生懸命練習した結果、優秀生徒の一人として表彰される。その表彰状で、ニューヨークにある某音楽大学のジャズ科に、半ばハッタリを使って奨学金をもらい入学。在学中に、当時の有名ニューヨークジャズメンたちの切実な生活状況等々を目の当たりにし、「ジャズは、頑張っても売れない!」という理由で、ジャズ科の生徒2人を口説き、3人でパンクバンド(名前は秘密)を結成。唯一の日本人(英語に訛りがいっぱい)であるにも関わらず、ボーカルも担当。結成1ヶ月後あたりに、某インディーレーベルから、ほかのインストゥルメントプロジェクト(ジャズ)を買われた挙句、レーベルをちょっと騙してデビューアルバムを製作。ギターは、1日平均10時間くらい練習していたものの、歌なんて、ほとんど歌ったこともないのに、作ったデビューアルバムがアメリカCMJにて新作部門4位、全体チャート80位以内を記録。その後、調子に乗って、いろんなバンドで、米国、欧州、台湾、オーストラリア等をツアー。 現在は、OTONANA Trioを率い、2012年以降、5枚のフルアルバム発売。年間平均70回の興行をアメリカにて遂行中。 2017年は、グラミー賞受賞プロデューサーであるBob Cutarella氏を迎え、新譜の録音中。 公式サイト www.otonanatrio.com