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楽器NEWS|DJ

DJの歴史

2018.11.26

みなさんこんにちは!突然ですが、DJしていますでしょうか...。 今や時代を象徴する、音楽シーンに欠かせない楽器となったDJ。今日はそんなDJの歴史をお話したいと思います! 1940年、第2次世界大戦時、ナチス・ドイツの占領下にあったパリでは、みんなで集まり、演奏に合わせて踊るということが禁止されていました...。 でもそんな状況だからこそ、パリの人たちは隠れてでも集まり、踊りたいと思い、バンドでの演奏でなくても持ち寄ったレコードで曲に合わせて夜中に隠れて踊りました。 1960年、ニューヨークにLe Clubというナイトクラブがオープン!曲を選曲し、流す人のことをDisk Jocky(ディスクジョッキー)と呼び、DJとしました。その頃は曲を繋げるのではなく、1曲終わったら音が止まり、次の曲をかけるスタイルでした。 1965年、ニューヨークにクラブArthurがオープン!DJ Terry Noelが2台のレコードプレーヤーを使って曲が終わる前に2台目の曲を流して途切れることなく曲を流すスタイルを生み出しました。 1970年代当時、世間ではディスコが大流行!一方でニューヨークのサウス・ブロンクス地区ではお金のない若者たちは、みんなで公園に集まりパーティーを開いたりして遊ぶようになります。 自らで持ち寄ったレコードプレーヤーで音楽を流して踊り、壁に絵を描いて遊びました。 ジャマイカからブロンクス地区に移住してきたクール・ハークは若者たちが集まる公園でいつものように曲を流していました。ある日ハークはいつも流している曲の一部分だけ、その部分が特に客が盛り上がり楽しそうに踊っていることに気がつきました。 その部分がずっと続けばいいのにと思ったハークは、同じレコードを2枚、レコードプレイヤーを2つ用意し、1枚目と2枚目で曲のおなじ部分を切り替えながら繰り返し流し続けました。 このテクニックが今でも多くの人に使われる技である、ジャグリングのルーツと言えます。 それからDJはテクノ、エレクトロとともに成長を続け、1994年、Pioneer社初のCDJ -500が発売!機能的には曲のピッチを変えずにテンポを変えるマスターテンポのみだったそうです。 その後次々と、HOT CUEなどのデジタル機能が充実し、ターンテーブルでは実現不可能とされたプレイも容易に行えるCDJはみるみるうちに注目を集めました。2001年に発売されたCDJ-1000で今の形のCDJが完成したと言われています。

↑ CDJ500

↑ CDJ-1000

CDJはさらに進化し... 2006年 CDJ-1000MK3でMP3再生が可能に 2007年 CDJ-400発売でUSBデバイスの再生に対応 2009年 CDJ-2000発売でプレイヤー間で音楽を共有するPRO DJ LINK機能を搭載、DJ用音楽管理ソフト、rekordboxを付属 2016年に発売されたCDJ-2000NXS2では、タッチパネルディスプレイが搭載されました!

↑ CDJ-1000MK3

↑ CDJ-400

↑ CDJ-2000

2010年代前半 世界的にEDMが人気となり、その波は日本にも大きく伝わりました! テレビCMなど、あらゆるところでEDMは流れ、DJ層に限らず一般層にも影響を与えました。 今やDJは私たちにとって、とても身近な存在となりましたね。 どうでしたでしょうか...。ものの歴史を振り返るといろんな人の思いが見えてきて、面白いものですね。 今、DJはできることが多く様々なプレイが可能になりました。自由度が高いだけに奥が深い楽器、とてもかっこいいです。 今日はご覧いただきありがとうございました!またお会いしましょう! 画像元:http://www.pioneerdjinibiza.com/wp-content/uploads/2014/06/537C0129.jpg