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音楽コラム集

【コラム】映画研究部NOAH 第18回 「オース! バタヤン」

2013.06.26

20_p14-15_image1.jpg 「オース!」 歌謡界の太陽、田端義夫のドキュメンタリー映画が完成、公開された! つい先日、4月23日にバタヤンは亡くなってしまったが、バタヤンの威勢のいい掛け声と笑顔、そしてなによりその歌声がしっかりと記録されている! 必見! ○オース! バタヤン誕生  バタヤンこと田端義夫は大正8年の元旦生まれ。西暦で言うと1919年! 1919年というと、ベルサイユ条約のパリ講和会議、インドではガンジーの非暴力独立運動、ドイツのワイマール憲法成立などが起きている。ひと昔、というより世界史の教科書レベルの昔だったりする。バタヤンがどれだけご長寿だったかが伺えるではないか。  松坂牛で有名な三重県松坂市の出身で、10人兄弟の9番目だったが、幼くして父をなくし、貧しい生活を強いられた。右目の視力を失ったのも幼少期の栄養失調が原因だ。しかし、そんな生い立ちでもバタヤンは明るく育った。 20_p14-15_image2.jpg ○○バタヤン、歌手になる  13歳で家を出て、奉公先を点々とするが、16歳になってギターの魅力にとりつかれる。しかし、ギターが買えないバタヤンは、ベニヤ板をギターの形に切り抜いて弦を張って練習した(『イター』いいますねん)。姉のすすめで、19歳のときに応募者4,000名のオーディションに参加。見事に優勝し、ポリドール・レコードと契約、上京する。  ポリドール社長宅に書生として住むことになるが、別の住み込みの書生が元相撲取りで「オース!」と勢いよく挨拶する男だった。バタヤンは彼を真似して、ステージで「オース!」と挨拶してみると、お客さんもそれに応えて声を上げた。以降、「オース!」は彼のトレードマークとなった。  20歳になり「島の船唄」でレコードデビューすると、これが大ヒット。バタヤンは一躍スター。浅草で大人気、映画にも出演する。だが、時代は戦時下。ステージにまで戦意高揚のための検閲が及び始める。しっとり歌うような曲でも、検閲官が「ダメ」と言うならコブシをきかせて歌わなければいけなかった。  ウンザリしたバタヤンは、本拠地を東京から関西に移した。じきに、命がけで戦地への慰問にも赴くようになる。戦後は、戦地から帰る復員船について唄った「かえり船」を発表。これが戦後の空気に見事にはまり、ヒット。バタヤン自身も、この歌が流れる駅のホームで戦地から帰ってくる人の列を見て、歌手としての実感を味わったという。 ○そして、歌謡界の伝説となる  昭和25年ごろから、美空ひばりなど新しい世代のスターが登場。戦前から活躍していた多くの歌手たちが、ヒット曲に恵まれずにフェード・アウトしていく。  しかし、バタヤンは昭和37年、「島育ち」のヒットでカムバックし、健在ぶりをアピール。その後も精力的に新曲を出し続け、昭和50年には沖縄出身のおねえちゃんが口ずさんだ歌を採譜した「十九の春」がヒットした。  一方では昭和57年から始まった大阪中座での定例公演が新たなファンを獲得していった。ほかにもラスベガスのカジノで大もうけしたり、おねえちゃんがらみで騒動を起こしたりと話題を振りまきながらも、その後もファンの応援によって21世紀までステージに立ち続けた。いつまでも現役でいられる秘訣をたずねると、小指をたてて「これ」とこたえる、どえらい人物である。 ○バタヤンとギター  バタヤンは日本でいち早くエレキギターを持って歌った人物の1人だ。しかも戦前の話だから、チャック・ベリーよりも早かった。先輩であるディック・ミネが持って歌っているのをみて「これはモテる!」と直感し、持ってみたという。「モテたい...」エレキを手にする理由は、今も昔も変わらない。  バタヤンのギターでは、ナショナル・ギター社ソリッド・ボディ・エレクトリック・スパニッシュNo.1124が一番有名。その年季の入りようは半端ない。映画でもじっくり紹介されるが、改造...というより、おそらく使えなくなった部分を外していった結果、味わい深い姿になったのであろう。そのボディには、まるでゴルゴ13の身体のように無数の傷がある。本番中に故障することもあり、お客さんの前で工具を持ち出してガンガンやっている貴重な映像(?)も紹介される。  その音だが、太くて荒々しい。ジョン・スペンサーもぶっとぶ音色だが、奏でるフレーズはザ・歌謡曲。しかし、その音を耳にして脳裏に浮かぶのは、ミシシッピーの広大なデルタ地帯...というより新宿思い出横丁、ゴールデン街、またはどこかの港町だ。まさに昭和のブルースである。バタヤンの歌う歌にそのギターが乗るだけで、人生の悲喜こもごもすべてが聞く者の胸に迫る。こんなギターを弾ける人が日本にいたとは...。  エフェクターはなく、ギターからアンプに繋いでいるだけ。アンプは、小型のギャリエン・クルーガーのようだ。本来、ベースアンプのはずだが、これも音の太さの秘密だろうか?  バタヤンが使用しているチューナーにも注目。昔のラジカセのような形をしていて、結構大きい。そして、大きさの割には小さすぎるオシロスコープの波形をみてチューニングする。スタッフにも、あんなチューナー見たことないと言れるほどのビンテージさだ。モノを大事にするバタヤン。見習いたい。 20_p14-15_image3.jpg ○バタヤンと歌  映画では、2006年に大阪市鶴橋にある母校の小学校で行ったコンサートの映像がメインで使用されている。  そのコンサートの客層はおじいちゃん、おばあちゃんが多い。バタヤンは、ファンとの距離感をグイッと縮める。客席に飛び込むイギー・ポップ、いや、ギターを持っているからAC/DCのアンガス・ヤングよろしく、おじいちゃん、おばあちゃんたちに、ゆっくり歩いて分け入る。おじいちゃん、おばあちゃんはバタヤンを迎えて立ち上がり、マイクを持って迎える。バタヤンの顔を見て、うれしそうに一緒に口ずさむ。  バタヤンは様々なピンチに遭遇しながらも、一度も現役から退かずに70年、歌手として生きてきた。そして、お客さんも一緒に年を重ねてきた。そして、バタヤンが歌う「歌」が、バタヤンとお客さんを強く結びつけているように思えた。とてもうらやましい光景だ。いま現在、死ぬまでずっと聞いていたい、歌っていたい「歌」があるだろうか、またはそれを歌える人がいるだろうか、と思うと、ちょっと複雑な気分にもなった。歌を歌うというのはどういうことなのか、この映画を見るとその答えがわかるかもしれない。  The Bandの"Ain't Got No Home"が主題歌として使用されているのも、バタヤンの歌手人生にうまくはまっていて、印象的だった。  フォーエバー、バタヤン。バタヤン、フォーエバー! (NOAH BOOK 高橋真吾) 20_p14-15_image4.jpg 「オース! バタヤン」 出演:田端義夫 浜村淳 他 監督:田村孟太雲 2013年/日本映画/95分 配給・宣伝:アルタミラピクチャーズ 劇場:5/18公開 テアトル新宿    6/1 公開 テアトル梅田    全国順次公開予定