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音楽コラム集

【コラム】映画研究部NOAH 第17回 「ドアーズ」

2013.04.01

19_p14-15_1.png  1960年代後半、ロックが反体制の旗印だった時代に現れ、大きな足跡を残したバンド、ドアーズ。いまなお多くの人々を惹きつけてやまない危険な魅力に溢れている。後年、フロントマンのジム・モリソンを主役にした伝記映画が製作された。今回はその映画「ドアーズ」製作をめぐって生じた軋轢について取り上げよう。 ブレイク・オン・スルー  ドアーズは、1967年デビュー。キーボードのレイ・マンザレクが、ジム・モリソンの詩の才能に惚れ込み、ジョン・デンズモアをドラム、ロビー・クリーガーをギターに迎えて結成。バンド名はジムが敬愛するウィリアム・ブレイクの詩の一節と、オルダス・ハクスレーの著作からとった。ニーチェやランボーに傾倒していたジムの詩と、ジャズ、ブルースに精通した3人による緊張感あふれる演奏でシーンに衝撃を与えた。1971年にジムが急死。ボーカリスト不在のまま活動を続けたが、2年後に解散した。 これで終わり  ドアーズの解散を決めた時、どうやってドアーズの音楽を後世に残せばいいかと3人は考えた。とくにバンド結成の中心となったレイは、「ドアーズは、最低50年は影響力を持つ語り継がれるべき存在であり、人間はドアーズを理解するだけの知性を備えるべきだ」と考えていた。ロビーとジョンは、ドアーズの存在意義は、ファンと音楽評論家に判断してもらえばいいと苦言を呈したが、レイの決心は固かった。ジョンは回顧録の中で、そんなレイを「伝道師」と揶揄している。1980年、ジムの伝記本「ジム・モリスン 知覚の扉の彼方へ」(著:ジェリー・ホプキンス&ダニエル・シュガーマン シンコーミュージック)が出版された。書いたのはレイではないが、その年のベストセラーとなった。ただ、メンバーの評価は「くだらない本」だった。伝記本の売り上げの影響か、同年、ドアーズのレコードの1年間の売上がデビュー以来最高を記録した。 ミスター・モジョ・ライジング 19_p14-15_2.png  衰えぬ人気が追い風となり、1985年、映画「ドアーズ」の企画が始動。コロンビア映画が権利を獲得した。脚本担当に指名されたのは「スカーフェイス」などの脚本で実績のあるオリバー・ストーン。彼は21歳の時、ベトナムの戦場で初めてドアーズを聞いた。ストーンは、残されたメンバーらに脚本のアイデアを伝えたが、ジムのワイルドな一面を強調したプロットはメンバーの反感を買ってしまった。採用は保留。ストーンはその間、監督としてベトナム戦争を題材にした「プラトーン」を撮り、世界中で大ヒットさせる。1989年、映画化の権利はコロンビアから「ランボー」をヒットさせたカロルコ・ピクチャーズに移る。プロデューサーの意向で、改めてストーンが正式に監督/脚本としてオファーされた。彼は「プラトーン」のあと、「7月4日に生まれて」で再びベトナムを取り上げ、60年代をスクリーンに甦らせていた。ストーンとプロデューサーは、ドアーズの3人、ジムの遺族、そして74年に亡くなったジムの伴侶、パメラ・カーソンの遺族と本格的な映画化交渉に入った。ジムの遺族は承諾。カーソンの遺族は、パメラがジムの死亡を最初に確認している第一発見者であることから慎重に対応。「ジムの死に関与しているような表現はNG」を条件に承諾した。ロビーとジョンはテクニカル・アドバイザーとして参加が決定。「伝道師」レイは苛立っていた。問題はストーンが書いた脚本だ。 これ以上、ハイになれない  バンドの絶頂期。ジムは、売れれば売れるほど精神的に不安定になり、音楽業界やファンへの失望を深めていった。その失望を埋めるように、浴びるほど酒を飲んだ。やがて、自分を抑圧するものへの過剰な攻撃性や、強い自己破壊願望を露わにし、それは日に日にひどくなっていった。創造力にあふれ、繊細で理知的なジムが、酒を飲むと同情の余地のないクズ野郎になる。メンバー、スタッフは、酒で荒れたジムを「ジンボー」と陰で呼び、次第にスタジオやコンサート会場で「今日はジムかジンボーか」とよそよそしく扱うようになった。ストーンの脚本に描かれていたのは、まさにそのジンボーだった。ストーンが脚本を書いた「スカーフェイス」の主人公、トニー・モンタナ。彼は自らの信念に従って成り上がり、権力を手にして自らを過信した結果破滅する。またストーンが「ドアーズ」のあとに製作した「ニクソン」では、貧しい家の出であるニクソンが、時代の要請で大統領となり、国益に忠実になるあまり許されないはずの違法行為に手を染める。ストーンは過剰な生き様を好んで描くようで、ジムもストーン流のキャラ作りに一度、還元されてしまったようだ。レイはジムという人物が曲解されてしまうのを恐れ、4人があつまってこそドアーズなんだとストーンに熱弁を奮った。しかし、熱くなったレイは一方的にまくしたてるばかりで、ストーンは逆に映画を守らなければと考えるようになった。歩み寄りは不可能だった。結局、レイは映画そのものから手を引き、全ての協力を拒絶することを選んだ。レイ役を演じたカイル・マクラクランは「オリバーとレイのいざこざは耳に入っていた。レイはつらかっただろうね。ドアーズ神話の番人を長年務めていたのは彼だから。」と振り返っている。撮影が始まるとストーンも腹が決まったのか、それとも元々そういう性なのか、セットを訪れたロビーとジョンが助言しても、耳は貸すが聞き入れることはなかったという。 映画になるほど、いい世界でしたか? 19_p14-15_3.png  さまざまな問題を抱えたまま完成した映画は、1991年の春に公開された。ストーンの前のめりのやる気が濃すぎて、ドアーズを知らない者が見るならばともかく、ファンにとってはとても判断に困る仕上がりとなってしまった。だが、内容の是非はともかく、誰からも絶賛されたのが主演のヴァル・キルマーだ。スクリーンの彼はジムの生まれかわりのようだった。撮影に備えて半年間のボイストレーニングを受け、ドアーズの曲を50曲マスター。劇中のライヴシーンでは15曲を口パクなしで演じきった。ドアーズのプロデューサー、ポール・ロスチャイルドも彼をバックアップした。ロビーとジョンも、「ヴァルは良かった」と評価している。  レイは公開間もなくして「あの映画のジムは、人格の破綻した酔っ払いだ」「観なくていい」と全否定した。だが、この映画をきっかけにドアーズに興味を持ち、ファンになった若者が多かったことは彼も認めざるを得ないだろう。そして、今ではこの映画をめぐるいざこざも「ドアーズ神話」の一部となっているのである。  時は流れ、2009年に映画「ドアーズ/まぼろしの世界」が完成。新規撮影は一切なく、すべて当時の記録映像と音源だけでバンドの軌跡を追う意欲作だ。幻となったジムの映画「HWY」の映像を使用したのも話題となった。ナレーションはジョニー・デップ。フィクションを軽く凌駕した生々しさは衝撃的だ。さすがのレイもご満悦で、こうコメント。「これこそ真実のドアーズ。この映画は反オリバー・ストーンだ。」  先生。もう、ストーンを許してやってください。 (NOAH BOOK ��橋真吾) 19_p14-15_4.png 【 作品データ 】 ドアーズ The Doors 1991年 アメリカ映画 監督/オリバー・ストーン 脚本/オリバー・ストーン、J・ランダル・ジョンソン 製作/ビル・グレアム、サッシャ・ハラリ、A・キットマン・ホー 出演/ヴァル・キルマー、メグ・ライアン、カイル・マクラクランほか ※ ブルーレイ、DVD ジェネオン・ユニバーサルより発売中