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ミュージシャン「ザ・ドリフターズ」

「8時だョ!全員集合」でお馴染み、伝説のコント集団「ザ・ドリフターズ」(以下ドリフ)。今でこそコントやギャグでのイメージが強い彼らだが、もともとは音楽バンドとして活動していたことも広く知られていることだろう。今回は、その歴史と功績をお伝えしたい。

 

 

 

引用元: https://maidonanews.jp/article/12906301?p=19013075

 

現在のメンバーとなるまでの変遷

 

そもそも、元々ドリフは純粋なバンドであり、お笑いとは程遠い存在だった。1956年に結成され、それから4年ほどは音楽バンドとして活動していたが、それも現在知られているメンバーとは大きく異なっていた。初期のメンバーには、坂本九や、小野ヤスシらがいたという。リーダーが桜井輝夫からいかりや長介となり、コミックバンドへ方向転換し始める。それに難色を示すメンバーらが脱退してしまい、その後もいかりやのワンマンぶりに耐えかねたメンバーらが脱退、残ったのはオーナーの桜井、リーダーのいかりや、ドラムの加藤茶、ギターの小山威、サックスの綱木文夫であったが、小山は病気で入院中、綱木は臨時雇いであったため、実質のメンバーはいかりやと加藤だけだった。それから間もなく小山は脱退し、早急なメンバー補充として荒井注、高木ブー、仲本工事が加入した。こうして、現在よく知られている5人+綱木という、“新生”ドリフとなったのである。志村けんが加入したのは、「8時だョ!全員集合」放送開始から約5年後のことであった。

 

ミュージシャンとしてのザ・ドリフターズ

 

先述の“新生”ドリフは、当時カバー曲や替え歌が主体であったが、初期の多くの曲を手掛けたなかにし礼の作詞と川口真のアレンジは、独自の音楽性を作り上げた。

そして何と言っても、ビートルズの日本公演の前座を務めた話は広く知られているであろう。1966年6月30日の話である。僅か1分15秒という短い出演時間であったが、前座用のステージではなく、ビートルズと同じメインステージで演奏を披露した。

 

 

これをきっかけとして、ドリフが世間に注目されるようになったという。当時いかりや長介34歳、加藤茶22歳、荒井注33歳、仲本工事23歳、高木ブー27歳であった。以降、歌謡グループとしての活動も顕著となっていき、コミックソング他、民謡や軍歌など、日本で歌い継がれてきた曲の替え歌をレコードへと吹き込んだ。

1970年に「第12回日本レコード大賞大衆賞」を受賞し、同年に「ドリフのズンドコ節」で「第1回日本歌謡大賞放送音楽賞」を受賞した。「ドリフのズンドコ節」は、1969年11月1日に発売され、当時オリコンランキング最高2位、売り上げ枚数115万枚という大ヒットを記録し、他にも数十万枚のシングルヒットまたはオリコン10位以内にランクインした曲が数曲存在する。この年の第21回NHK紅白歌合戦に出場が決定していたが、加藤の交通事故によって出場を辞退している。そして時は流れ2001年12月31日、第52回NHK紅白歌合戦にて、正式な出場歌手として初出場を果たすこととなった。

 

 

引用元: https://mainichi.jp/graphs/20200325/hpj/00m/200/001000g/1

 

コントグループのイメージが強いザ・ドリフターズ。しかしそう至る前に、前身となったバンドや、様々なメンバー変遷、コミックバンドとしての活動など、深い歴史が存在している。1966年のビートルズ日本公演前座の動画やNHK紅白歌合戦などの動画はYoutube などで見られるので、皆さんも是非、音楽バンドとしてドリフを感じてみてはいかがだろうか。

 

1966年6月30日ビートルズ日本公演の前座の様子

(https://www.youtube.com/watch?v=XA4nzeBogJk)

 

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