音楽コラム集

【コラム】映画研究部NOAH 第20回 「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」

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コーエン兄弟の新作「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」
 「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」は、日本ではあまりなじみのないフォーク歌手、デイヴ・ヴァン・ロンクの回想録から着想を得て作られている。舞台となるのは、1961年のニューヨーク、グリニッチ・ヴィレッジ。当時、フォーク音楽の中心地とされていた場所である。
 主人公ルーウィン・デイヴィスは、才能はあるのにくすぶった日常を送っているフォーク歌手。彼の最悪なようで、そうでもないような数日間の出来事が描かれる。主人公がフォーク歌手なだけに、音楽への強いこだわりを感じさせる仕上がり。同じくコーエン兄弟の作品でアメリカのルーツミュージックへの再評価を高める契機となった傑作「オー・ブラザー!」同様、T・ボーン・バーネットが音楽プロデュースを担当している。ルーウィンを演じる主演のオスカー・アイザック本人がギターを弾きながら歌っているが、これが最高にイイ。聞いていて気持ちがよい歌声をじっくり聴かせてくれる。また、ルーウィンの人物像も実に魅力的。忌野清志郎さんじゃないが、人生はいいことばかりはありゃしない。けど、悪いことばかりでもない。もちろん、映画なので事件は起こるけれども、終わらない日常の中で七転八倒するのが人生だということを、不思議なリアリティをもって体現している。ルーウィンはやることなすこと空振り続きで、ふらふらしているし、自分の行動の結果に対してもどこか傍観者のような態度をとる。その姿から、どうにも目が離せない。とくに30を過ぎた男性なんかが見ると、身につまされる部分が多いかもしれない。いかにもコーエン兄弟映画の主人公、といった佇まいだ。

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理解しているともっと本作が面白くなる1961年のフォーク・シーン
 映画で詳しく描かれるわけではないが、1961年のグリニッチ・ヴィレッジには、フォーク歌手だけでなく、ビート文学の作家や詩人、芸術家などが集まり、芸術、文化の発信地として一大コミュニティーを形成していた。1950年代の終わりに、ヴィレッジにあったいくつかのゲイ・バーが閉店、カフェとして営業を再開した。そのうちの一つが、ルーウィンが歌う店「ガスライト」だ。こうしたカフェでは、詩人のポエトリーリーディングやアーティストのパフォーマンス、そしてフォーク歌手のライブなどが毎晩のように開催されていた。出演がないときは、客席で政治や芸術について議論を交わし、殴り合いに発展することも常だったという。それだけ熱気に溢れていたのだ。

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 そもそもどこか高尚な印象があるフォークが、なぜグリニッチ・ヴィレッジにたむろするようなボヘミアン的な性格を帯びたのか。それにはウディ・ガスリーとピート・シーガーという歌手の存在が大きく影響している。20世紀初頭のアメリカは、大恐慌や凶作が原因で南部の農業地帯を中心に貧困が大きな問題となっていた。ウディはそうした貧困や搾取、差別の現状を、各地を放浪することで目の当たりにした。彼は、貧しい人のためにギター1本で民謡やブルースに時事問題や体制への怒りを乗せて歌うようになった。自然と彼の活動は社会主義などの左翼的な政治活動と不可分になり、シーガーがそれに続いた。しかし、ウディは1940年代以降、体調の悪化とともに表舞台から退いてしまい、シーガーは1950年代に共産主義の弾圧「赤狩り」が始まると、ブラックリストに名前が載り、活動が停滞する。 そのころには、ウディやシーガーの活動に高潔さ、真の音楽を探求する姿勢を見出した若者達が、ギターを手に取りカフェで歌い始めていた。彼らは伝統的なフォーク音楽を、時事問題を取り上げるトピカル・ソング、反体制を明確にしたプロテスト・ソングへと昇華させていき、カフェで歌った。また、そのような歌を歌える店がヴィレッジにはたくさんあったのだ。シーガーはこうした次世代の若者達を、親しみをこめて「ウディの子どもたち」と呼んだ。そのウディの子どもの1人が、ルーウィンのモデルであるデイヴ・ヴァン・ロンクだった。彼は繊細さと荒々しさを併せ持つ歌声が特徴で、シーンの中心人物だった。

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ルーウィンとボブ・ディラン
 1961年、ミネソタ州からヴィレッジへやってきた20歳の若者が、ヴァン・ロンクと親しくなる。彼の名はボブ・ディラン。彼は、ミネソタ州ミネアポリス出身で、すでにフォーク歌手として活動していたが、ヴィレッジに住みついてからは、シーンの空気を吸収してめきめきと頭角を現していった。ヴァン・ロンクからも多くを学び、デビューアルバムでは彼のアレンジを真似た。1962年に書いた「風に吹かれて」が公民権運動で盛り上がる時代の空気を的確にとらえ、その名が一気に知れ渡ると、ディランは「時代の代弁者」へと姿を変え、フォーク音楽というものを世界中に知らしめる存在となった。ヴィレッジに来てから2年も経っていなかった。映画の舞台となった1961年とは、ディランの登場によってフォーク音楽が大きく姿を変える前夜、ヴィレッジのシーンがその役割を終えた年でもあるのだ。
 とはいえ、T・ボーン・バーネットは言う。「ルーウィンは私だし、私の友達だよ。彼はボブ・ディランではないすべての人なんだ」。本作にはボブ・ディランに影響を与えつつも、彼の影となってしまった人々への愛着がある。ラストシーンでは、時代の転換点がさりげなく描かれる。そのさりげなさが、ディランという存在を生み出したあとも、ルーウィンのような人々の人生は続いていったのだという余韻を残す。
 ちなみに、猫好きにもたまらない映画となっております。

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追記:「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」でフォーク音楽に興味を持ったなら、ボブ・ディランのドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」を観てほしい。ディランをはじめとする1960年当時のヴィレッジのフォーク・シーンに関わった人々の証言が満載で、デイヴ・ヴァン・ロンクのインタビューにもかなりの時間を割いており、当時のシーンとディランとの関係を振り返っている。
(NOAH BOOK 高橋真吾)