激音通信

【激音通信】vol.6「ライブ・パフォーマンスが政治的な意味を持った時代」

「ライブ・パフォーマンスが政治的な意味を持った時代」

強烈なライブ・パフォーマンスが、真意はともかくそのバンドの政治信条ととらえられ、音楽そのものの流れを変えてしまうことがある。今回は、1967年にデビューし、たった4年間の活動によってロック史に大きな足跡を残したドアーズをとりあげよう。稀代のカリスマ、ジム・モリソンを擁したドアーズ。彼らのパフォーマンスが、彼らの運命を翻弄したのだ。

○ドアーズ
ドアーズは、1960年代後半におけるアメリカのロック・シーンを代表する存在。1967年から実質的な活動を停止する1971年までの4年間の間に、6枚のアルバム発表。「ハートに火をつけて」、「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」などのチャート1位のシングルヒットもある。
ドアーズは、1965年にUCLAの映画学科に通っていたレイ・マンザレクが学友のジム・モリソンの詩の才能に驚嘆し、バンド結成を持ちかけて誕生した。ボーカルがジム、キーボートがレイ。当初メンバーは固定的ではなかったが、1966年までにドラムにレイが瞑想道場で知り合ったジョン・デンズモア、ジョンの紹介でギターにロビー・クリーガーが加わった。バンド名はサイケデリック文化の誕生に多大な貢献をした作家、オルダス・ハクスリーの著書「知覚の扉」からとられた。もっとも、その「知覚の扉」という言葉もジムが敬愛する詩人、ウィリアム・ブレイクの詩の一節からの引用だった。

○急速に変化した若者文化
先述した「瞑想」、「サイケデリック」という言葉は、60年代のカウンターカルチャーでは重要な要素だ。1966年は、サイケデリック文化が爆発的に拡大する前夜だった。そして、ドアーズら60年代のロックバンドたちは、戦後ベビー・ブーム世代であり、「若者らしさ」を享受することを許された初めての世代だった。それまでのアメリカでいう「若者」とは、たとえ10代であろうが大人らしく振舞うことを要求される「小さな大人」だった。しかし、20歳以下の人口が劇的に増加。新しい若者文化の登場は必然だった。彼らは伝統的なモラルを否定し、大人たちを困らせた。彼らのスターは、ジェームス・ディーンであり、エルビス・プレスリー。保守的な白人の大人たちは絶対に聞かない黒人音楽は、「ロックンロール」となり、世代の賛歌となった。50年代の間に若者たちには「反抗」という種が蒔かれ、それは60年代で見事に芽吹いた。
若者たちは、アメリカの伝統、生活様式に大きな影響を与えるキリスト教プロテスタンティズムに背を向け、東洋の禅やインド哲学に親しみ「瞑想」を実践した。また、ハクスリーやティモシー・リアリーによって提唱された「幻覚剤による意識の拡大=サイケデリック」も、彼らの興味をかきたてた。サイケデリックは「伝統や文化、国家などによって束縛された精神を、LSDの力を借りて完全に自由にする」ことを訴えた。また、国家が推し進めるベトナム戦線を糾弾する平和運動、反戦運動、キング牧師らによって進められた公民権運動などに共感を示し、合流していった。瞑想、LSD、ラブ&ピース。こうした新しい生活様式を受け入れた若者たちを、世間はヒッピーと呼んだ。そして、ヒッピーたちは大音量のロックを反体制の旗印として選んだ。1967年1月、サンフランシスコで初めてのヒッピーの大規模な集会「ヒューマン・ビーイン」が開催された。そして同月、ドアーズがエレクトラ・レコードからデビュー。「ハートに火をつけて」がチャート1位を獲得。その存在を決定付けた。新時代の幕開けを告げるに充分なタイミングだった。

○衝撃的だったドアーズのライヴ・アクト
ドアーズの音楽は、ニーチェやランボーに傾倒していたジムの詩と、ジャズやブルースに親しみ、様々な音楽の影響を受けたレイ、ロビー、ジョンの演奏によって成り立っていた。詩から感情の流れを読み取り、ドラマのように音像化していく。バンドの理想も、詩、演劇、音楽がそれぞれに持つ最高の瞬間を融合することだったという。ベーシストは不在で、レイが左手でベース・キーボード、右手でリードを弾いた。試しにベーシストを入れて音を合わせたら、普通のロックバンドみたいな音になったので、あえて加入させなかったという。それが、唯一無比のサウンドを生み出した。バンド名を冠したデビューアルバム”The Doors”で、すでにバンドは完成している。
ラストを飾るナンバー”The End”は、11分以上の大作。書かれた当初は失恋についての曲だったが、リハの過程で曲は変化。ジムは、実の父を殺し、母を娶ったオイディプスの神話をアレンジしたクライマックスを書き加えた。デビュー前にライブで初演奏した際、クラブのオーナーが激怒。出演の予定を、すべてキャンセルさせた。保守的な人間の逆鱗に触れるには充分な演出だった。
ライブのステージ上のジムは、神がかっていた。クラブに出始めたころは、客に背を向け、バンドのメンバーのアイコンタクトがないと歌えなかった。だが、すぐに自己演出にのめりこみだし、圧倒的な存在感を発揮するようになる。ジムは、マイクスタンドの前に彫像のように毅然と立つ。目をつぶり、催眠のように即興の詩を口にする。マイクケーブルを蛇使いのように動かしたり、ジャンプした勢いでそのまま倒れこんだり、アメリカ各地を放浪したときに目にしたネイティヴアメリカンの踊りを真似て見せたりした。ジムの姿は、レイたちの目には祝祭を司るシャーマンのように映ったという。エレクトリック・シャーマンとなったジムが陶酔すればするほどメンバーたちの演奏も過熱。それを感じとった観客たちも熱狂の渦に巻き込まれるのだ。
ただ、そうした若者たちの熱狂は、世間的には得体の知れないものだった。瞑想だ、サイケだとわからないことが多すぎる。しかも親殺しの歌を歌うドアーズは、そんな理解できない若者の最先端だった。67年の9月に出演した全米ネットの生放送番組「エド・サリヴァン・ショー」では、放送に適さないとされた”Higher”という歌詞を、製作側の変更要請にも関わらずそのまま歌った。生意気な連中という評判がたつには充分な出来事だった。当時のロックコンサートには治安維持のための警官がつきものだったが、世間にとってはドアーズのコンサートにこそ警官が必要だった。

○最初の男
1967年12月9日、ジム24歳の誕生日。ドアーズは、コネチカット州ニューヘイブンで公演を行う。開演の30分前、ジムは人で混みあう楽屋から女の子を1人連れ出し、シャワールームでイチャついていた。そこへ1人の警官が入ってきた。「ここは立ち入り禁止だ。今すぐ出てくれ」。楽しみを邪魔されたジムは、股間に手を当て、「お前はこれでも食え」と答えた。警官はベルトから催涙スプレーを取り出してみせ、再度警告した。だがジムも再度、股間を強調しただけだった。任務に忠実な警官は、ジムの顔に向けて催涙スプレーを吹き付けた。大声をあげて倒れこむ。騒ぎを聞いたマネージャーたちが駆けつけ、ジムを起こした。そこで初めて警官は、いま自分が相手にしていたのが今夜のステージの主役であることに気付いた。
レイの記憶によると、その夜はジムの回復を待って開演が1時間遅れたという。ステージに現れたジムの目は真っ赤だった。いつものようにライブが始まり、何曲目かで、ブルースナンバー、”Back Door Man”の間奏に差し掛かった。ジムが口を開いた。「さっきここで起きたことを話したい」ジムは、会場についてから催涙スプレーを吹き付けられるまでの一部始終を、演奏をバックに話した。ステージの下では「下手人」である警官を含んだ数人が警備にあたっている。彼らをなめきったジムの態度に観客は歓声を上げた。警官たちが、怒りを込めた目で彼を見上げる。ジムの口調は観客たちに何かをけしかけているようだった。「世界は俺を憎んでいるんだぜ、くそったれ!」ジムのアジ演説が続く中、客電がついた。ふいに明るくなった会場。観客がどよめく。数人の警官がステージ袖からジムを囲むように近づいてきた。ジムは平然としている。「みんなはショーを見たがってる、ライトを点けてくれ」。観客席にも不穏な空気が漂う。きっかけがあれば暴動でも起こりそうな気配だ。「言いたいことがあるなら言えよ」ジムは警官に向けてマイクを向けた。
警官は答えることなくマイクを取り上げた。ブーイングの中、ジムはそのまま力ずくでステージの端へ引きずられていった。会場の外にはパトカーが待ち構えていた。蹴りを入れられながら押し込まれると、ジムはそのまま警察署まで連行された。罪状は3つ。公然わいせつ、治安妨害、公務執行妨害だった。このとき、警察署で撮影されたジムの写真には不敵な表情が浮かんでいた。本人はジョークのつもりだったのかもしれない。

○パプリック・エネミー、ナンバー1
留置場で一晩過ごして帰ってきたジムは、まったくへこたれることなく、むしろ元気いっぱいだった。彼には「コンサート中に逮捕された最初のロックミュージシャン」という称号がマスコミから与えられた。ただ、メンバーであるレイとジョンは、デビューから1年、前だけを見て突っ走ってきた努力がすべて水の泡になるのではないかと、冷や水を浴びせられるような気分だったという。そして、バンドがその後の経緯を振り返れば、それはあながち間違いでもなかった。この事件を境にドアーズは、若者VS大人の矢面に立たされ、「公共の敵」に認定されてしまったフシがある。もちろん、渦中にいるドアーズ自身には、そんなことはわからない。彼らは、次のツアーのため、次のレコードのために前に進むしかなかった。音楽の神様は、まだまだ彼らを翻弄する気だった。

(次回、後編に続く)

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(文:高橋 真吾)

映画研究部NOAH 第17回 「ドアーズ」は、下記ページに掲載されています。
http://book.studionoah.jp/2013/04/noah_17.shtml

このコラムは、激ロック内で掲載されているサウンドスタジオノアのコラム「激音通信」です。
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