激音通信

【激音通信】vol.4「20世紀の作曲家、フランク・ザッパ」

「20世紀の作曲家、フランク・ザッパ」

○「録音」、時代を変えた発明
20世紀の音楽界に最も大きな影響を及ぼした発明は、ずばり「録音」だろう。それまで音楽といえば楽譜で売られるものだった。アメリカでは、楽譜出版社の店先でミュージシャンたちが新曲の譜面を演奏し、売り込むのが慣例だった。それが、演奏している音そのものを売ることになったのだから大きな進歩だ。19世紀の間に、エジソンが発明した筒型ロウ管に記録するフォノグラフから、円盤レコードに記録するグラモフォンへと発展。20世紀初頭は12インチで両面再生のSP盤が主流となって販売された。さらにナチスドイツが1930年代後半、ヒトラーのクソ長い演説をカットなしで録音、放送できるテープレコーダーの技術を完成させた。

ジャズギタリスト、レス・ポールはこのテープ技術の存在を耳にしたときに、すでに倍速録音や、オーバーダビングの可能性について模索していたというからその先見の明たるや、恐れ入る。では、ロック・ミュージシャンが初めてレコーディング・エンジニア的な作業に手を出したのはいつごろか。ぶっちゃけ、「初めて」とか言い出したらキリないくらい実はいっぱいいるのだろうが、ここではフランク・ザッパを取り上げる。というか、ザッパについて書きたい気分なんです。よろしくお願いします。

○フランク・ヴィンセント・ザッパ

Frank-Zappa
フランク・ザッパ、ロック界における巨人にして奇人、そして偉人。とはいえ、一般的なリスナーにとっては名前くらいは知っている程度の人物かもしれない。グシャグシャの長髪にヒゲ、イッてる眼光というルックスは一度見たら忘れられないので、ツラだけは知っているという人も多いだろう。もしくはレコード店に並ぶCDタイトルの莫大な量に圧倒されて、興味は持ったけど入り口がわからなくて撤退した、という人もいるかもしれない。名前の響きのインパクトが強いので、「名前は知ってるけど肝心の音を聴いたことがないミュージシャン」のランキングをつけたら確実に上位に入る気がする。
そんなザッパだが、ミュージシャンの間での認知度、支持率はかなり高い。何より、ザッパの音楽が持つ多様性が、必ずリスナーの耳のどこかにフィットするのだ。パロディのようなリズム&ブルーズと騒音主義の現代音楽が同居した驚異的なデビューアルバムから、生前最後の公式アルバムとなったアンサンブル・モデルンとの共演盤「イエローシャーク」まで60を越すタイトルをリリース。すでに1993年に53歳で死去しているものの、息子のドゥイージルや、愛弟子スティーヴ・ヴァイらによるトリビュートバンド”Zappa Plays Zappa”のライヴ、未発表音源の発掘プロジェクト、過去の音源のリマスター盤のリリースなどによって、その意志は受け継がれている。生前は、ロックの歌詞を検閲しようとする団体PMRC設立に強く反対したり、アメリカ型の政治に疑問を持ち、デビュー当初からキツイ皮肉で政治家を揶揄したり、後年は積極的にテレビやラジオに出演して発言をしたりと、とにかく反骨を貫いた。病に倒れなければ大統領選にも出馬したかもしれないとファンは思っている。そして何よりもファンにはとても優しかった。

○ザッパの人生
彼はカリフォルニアの砂漠に近い小さな町で育った。両親は軍関係の施設で働く科学者で、機械や科学に対する関心は幼少期から強かったという。1940年生まれ、ジョン・レノンと同い年の彼は、エルビス・プレスリーやチャック・ベリーなどロックンロール第一世代の洗礼をモロに受けた。そして、リズム&ブルースのドーナツ盤の収集に熱を上げ、好きな曲のレコードの型番まで言えるほどのマニアだった。ロックンロールと同時に彼に強烈な影響を与えたのが、現代音楽の巨人、エドガー・ヴァレーズ。彼自身が言うには、レコード店に並んでいたジャケットの姿がSF映画に出てくる気の狂った科学者に見え、内容も気にせずにLP盤を買ったらしい。そのレコードに収録されていた曲「イオニザシオン」が彼の人生を決定付けた。「イオニザシオン」は、打楽器のアンサンブルと手回しのサイレンのみで演奏される作品で、メロディーは存在せず、ロック、ポップスしか聴いたことがない人にとっては脳みそのあさって側に位置する音楽だ。しかし、インドネシアのガムランなどからの影響を受けたリズム構成や、チャカポコドンドンした打楽器の音は、充分に刺激的な音響を成している。ザッパは、これにノックアウトされた。ヴァレーズは、ほかにもテープに録音した音響とオーケストラの共演や、電子音楽「ポエム・エレクトロニーク」などで音楽史に名を残す。彼がマッド・サイエンティストに見えるというザッパの直感は当たっていた。そして、ザッパもヴァレーズのように、科学的に音楽にアプローチし始めた。

生前だけでも60を越す大量のアルバムをリリースしたザッパ。その精力的な活動の根源とはなんだったのか。それはザッパ自身がプロデューサーであり、エンジニア的な側面も持っていて、何よりも作品の記録=録音に対して並々ならぬ情熱を持っていたからだ。そのスタートはデビュー前にさかのぼる。

○ザッパ・ビギンズ
1963年、若きザッパはカリフォルニア州クカモンガの小さなレコーディングスタジオを買い取った。「スタジオZ」と名づけられたそこは、ザッパの仲間のたまり場となり、街の風紀委員に目を付けられていた。ザッパは、以前のオーナーから引き継いだ時差式ヘッド5トラックレコーダーを駆使し、自身や、仲間の演奏を実験的に録音した。「業界のお偉いさんたちがステレオは人気が出るだろうかと悩んでいるころ、俺たちはしこたまオーヴァーダブをやっていた。」当時の音源を聞くと、多重録音と倍速録音をふんだんに取り入れていて、まだ技術面での実験という範囲にとどまっているが、単純なリズム&ブルーズに終わらない片鱗が垣間見える。レコスタのオーナーとはいえ、かなり破産に近い生活を送っていたようで、週末はクラブで演奏の仕事をしていた。ある日、ザッパは「ポルノ・テープを作ってくれ」という発注を受けて、女性の笑い声が入ってるだけのテープを作った。すると、警察が踏み込んできて「街の風俗を乱した」として逮捕された。そもそもポルノテープの発注自体がでっちあげの、おとり捜査だった。10日間の投獄で、彼の権力への不信は決定的となった。その後、スタジオZは道路拡張のため閉鎖となった。

○ザッパ・ライジング
1965年、参加していたバンド、ソウル・ジャイアンツをマザーズと改名。1966年にMGM傘下のヴァーヴ・レーベルからアルバム「フリーク・アウト!」でデビューする。ただし、オカマと勘違いされるという理由でバンド名はマザーズ・オブ・インベンション(発明の母)に変更された。マザーズはすぐにアンダーグラウンドミュージックのヒーローとなった。ザッパはデビュー前から、自分たちのライブを録音していた。それらは単にライブ音源としてミックスされるだけではなく、スタジオで追加録音、編集を施されて異なるトラックとして仕上げられることもあった。マザーズのアルバム「いたち野郎」、「バーント・ウィーニー・サンドウィッチ」の2枚は、ライブ音源をベーシックトラックに用いて、新曲を完成させている。
70年代に入ると機材も充実し、ライブもマルチトラックレコーディングされるようになる。70年代半ばごろまでは4トラックのレコーダーを使用していたそうだが、その後、24トラックに変わり、スタジオテイクとの音質の差も急速に縮まっていく。ツアーがなければ自宅地下のスタジオに24時間入り浸り、タバコとコーヒーを摂取しながら追加のレコーディングを行い、蓄積した音源と格闘していた。
1970年代から海賊盤業界が成熟し、マザーズのライブも大量にリリースされた。これに対し、録音魔ザッパはザッパらしい手段で抵抗した。売れている海賊盤のジャケを丸々利用し、ジャケ記載の日付のザッパ所蔵のライブ音源を公式版としてシリーズ化したのだ。シリーズタイトルはまんま「ビート・ザ・ブーツ」。海賊盤を潰せ、だった。
1980年代に、アナログLP盤からCDへとメディアが変わる。フォーマットがアナログからデジタルに移行したことで、過去の作品もザッパの当初の構想どおりに作品化することが可能になった。彼は過去の音源の大々的な整理を行い、過去のアルバム音源に新しいギターソロが重ねられたり、ミックスをまるまる変更したりと改訂を行った。ライブ盤は曲の追加や、削除部分の修復などが行われ、長尺になった。一方で、デジタルへの移行と、ヒップホップの隆盛によって定着しつつあったサンプリングの手法を、ザッパは全面的に否定した。一つの音源にかかる労力を無視した気軽な借用は許さない、というのが理由だった。

○I could be a star now.
ザッパの録音魔ぶりはライブだけにとどまらなかった。1971年、ザッパは、ロック業界のいい加減さと、ロック・ミュージシャンたちのスキャンダラスなライフスタイルを風刺した連作をライブで上演する。これらの楽曲は「200モーテルズ」というタイトルでまとめられ、71年のツアーの総仕上げとしてメンバー出演で映画化された。その映画の脚本を受けとったメンバーたちは絶句した。自分たちが、ツアーの楽屋、移動の車内、レストラン、宿泊したモーテルでしていた会話がそのまま文字になっていたからだ。メンバーは悟った。ザッパは脚本のネタの収集のため、自分のいないところでも常にテープレコーダーで会話を隠し録りしていたのだ。一部のメンバーには知らされていたのだが、知らない人間のほうが多かった。その会話にはもちろん、ザッパに対する陰口や愚痴も含まれていた。嫌気がさして、映画のクランクイン前にバンドを抜けてしまったメンバーもいた。そのメンバーは脱退の際に「嫁がやめろって言ってる」という言い訳をしたが、その会話も録音されていた。言い方がザッパのツボにはまったのか、90年代にリリースされた71年のツアー集大成アルバム「プレイグラウンド・サイコティクス」にまんま収録されている。ちなみに、ほかのメンバーが発した「ザッパに会ってなければ今頃スターになれたはず」という言葉は、のちに何度も使いまわされるほどの名言となった。だが、ザッパに悪口が筒抜けでも、ザッパがそれを理由にメンバーを解雇することはなかった。…勝手に録ってるんだから当たり前か。
※このアルバムにはジョン・レノン&オノ・ヨーコとマザーズのセッションも収録!

○ザッパなき世界
ザッパがもし今生きていたら、現在のレコーディング環境の簡易化をどう思っただろうか? ザッパはきっと早い段階からPro Toolsなどを使ったHDレコーディングに挑戦しただろう。曲をブロックごとに分けてレコーディングし、あとで編集で組み立てるという作業は、まさにザッパが60年代から得意とした創作スタイルと共通しているからだ。手段でいえば誰でもザッパと並べる現在、自らの作品をどれだけこだわりを持って仕上げられるかに作品の命運がかかっている時代になったということだ。もしかしたら、手段が簡単な分、ハードルはずいぶんと高くなってしまったのかもしれない。本物の音を出す、録る。これが21世紀のミュージシャンに課せられた命題といえるだろう。

【君もザッパになれるかな!? 録って録って録りまくれ!】
サウンドスタジオノアは、セルフレコーディングの環境が充実している。DAWなどの録音機器を持ち込んで、お客様自身でのレコーディングが可能。必要な機材レンタルを多数用意しているので、高音質な音源製作が可能。リーズナブルな値段も魅力のひとつ。デイパック、ナイトパックとの併用で、さらにお得に。また、レコーディングスタジオSOUND ARTSからプロのエンジニア派遣も行っている。業務用レコーディングで培った技術で最高のテイクを残せる。バンドレコーディングを始め、ピアノレコーディング、ヴォーカル収録など何でも相談できる。

【セルフレコーディングについての案内】
http://www.studionoah.jp/rec/

【過去のレコーディングの事例を紹介】
http://rec.studionoah.jp/

(文:高橋 真吾)

このコラムは、激ロック内で掲載されているサウンドスタジオノアのコラム「激音通信」です。
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