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【インタビュー】巨匠が斬る! 日本の音楽事情

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あなたは、ハンマー・ダルシマーという楽器をご存じだろうか。世界では珍しくない楽器だが、日本ではなじみが浅い打弦楽器のことである。このハンマー・ダルシマー(以下ダルシマーと記載)が日本で知られていないことに警鐘を鳴らす人物がいる。日本の音楽の歴史を作り上げてきた日本打弦楽器協会会長の生明慶二氏その人である。そこで、日本の音楽全般の発展を願う弊誌は、生明氏に直撃インタビューを敢行。ダルシマーの詳しいことはもとより、今後の日本の音楽が進むべき道を示す貴重な話がうかがえた。
音楽をやっている人全員に、ぜひとも読んでもらいたい。

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生明慶二プロフィール

1928年、神奈川県生まれ。音楽人類学者として学習院大学講師、東京外語学院アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員、東京外語大学、学習院大学、同女子短期大学、高崎芸術短期大学客員教授などを歴任。民族と音文化のさらなる研究のため、アジア各地を探訪し、民族音楽・民族楽器の収集を行う。89年 中国「雲南芸術学院」における「(中国)少数民族音楽学会」に参加し、「伝承機能音階論」を発表して世界的に高い評価を受ける。ダルシマーの演奏家としては世界でも有数のプレーヤーで、日本でこの楽器が使われる際はほとんど彼が弾いていると言っても過言ではない。数々のレコーディングやライブに参加しているほか、映画やCM等でも幅広く活躍している。日本打弦楽器協会(http://www.dulcimer.jp/)会長。

【モーリス・ジャールが連れて来たダルシマー奏者に教わったんですよ】

—打弦楽器を始めたきっかけは何ですか。
日本テレビが開局10周年記念で、シルクロード・中央アジアについて記念番組を作ることになった。そのとき、ディレクターが中央アジアのダルシマーを買って来たんですよ。これで、番組のテーマ曲を弾けと言われて。シルクロードという言葉もまだなくて、中央アジアと言っていた時代です。
ダルシマーは、中央アジアが起源なんです。紀元後3世紀の楽器なのに、インドの人たちは、たいして古くないと言うんですよ。彼らの物差しで古いというのは、紀元前のこと。弦はもちろん鉄じゃなくガットだった。ヨーロッパに入っていったのは、10世紀11世紀くらいに十字軍がエルサレムに攻めに行ったときにトルコやイラク辺りからスペインに持ち帰ったから。何でわかるかというと、スペインの教会のリリーフに彫ってある。中央アジアというのは、今でいうペルシャやイラン辺りのことです。

—ダルシマーをやる前はどんな楽器をされていたのですか。
クラシック・パーカッションのビブラフォンやマリンバなどの打楽器ですね。ジャズをやっていたけど、黛敏郎が現代音楽をやり始めたので、僕も現代音楽を始めた。
ちなみにそのころ僕と一緒にやっていたのは、高橋悠治と伊部晴美。伊部晴美は本当にギターがうまくて、映画の作曲だけでも100本以上やっている人。高橋悠治も、すごくうまくて強烈なピアノでしたね。
そのころ、北島三郎の「なみだ船」という事実上のデビュー曲の演奏をやったりもしましたね。

—ジャズも現代音楽も演歌もやっていたのですね。ダルシマーをやり始めたのは、おいくつのときですか。
30歳くらいのときじゃなかったかな。

—周りにダルシマーをやってる方はいらっしゃったのでしょうか。
僕が唯一です。さっきの番組のディレクターが買って来た1台しか、まだ日本になかったから。
モーリス・ジャールという『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』の音楽をやってアカデミー賞を受賞している作家が、日本で公演をするときにフランスからダルシマー奏者を連れてきたんです。
フランスでは、ダルシマーは当たり前の楽器でね。シャンソンなんかには、よく使われてますよ。そのモーリス・ジャールが連れて来たダルシマー奏者に教わったんです。それまでは、調律だって、わからなかったんだから。ちゃんとした調律と弾き方を教えてもらいました。
それから急速に弾けるようになりましたね。モーリス・ジャールが亡くなったというのを新聞で知ったときは、すごく懐かしく思いました。モーリス・ジャールは民族楽器マニアで、映画音楽をやるとき、その国の一番重要な楽器を使っているわけです。だから『レッド・サン』のときは、日本の楽器を使っているんですよ。

—映画音楽もやられていたんですよね。
何千本もやっています。1週間に2本立てや3本立てでやっていたから。そうすると、1年で100本以上になるわけですよ。

—生明先生の代表作というと何になりますか?
天知茂が出ていた「非情のライセンス」。作曲した渡辺岳夫の最高傑作と言われてますからね。テーマの旋律を取ってるもので言うと「犬神家の一族」(今号の映画研究部の題材)かな。あとは、「敦煌」とか久保田早紀さんの「異邦人」とか。

—坂本龍一さんとも一緒にやられてますよね。
僕が、石橋メモリアルホールでルネッサンス音楽をやっていて、それは日本で最初のルネッサンス音楽のバンドだったんです。日本にルネッサンス音楽というのが、まったくなかったときなので。日本はバロック以後は知られてるんだけど、バロック前はよく知られていない。
その演奏会のあと、客席でお客さんにサインを頼まれている人がいた。それが、Yellow Magic Orchestraを解散した後の坂本龍一くんだった。そのときに、ルネッサンス音楽を聴く層と坂本くんのようなテクノミュージックを聴く層が同じだということに非常にビックリした。そのときのお客さんは、違った世界の音楽を聴きたかったんだね。ルネッサンス音楽と坂本くんの音楽は、同じ感性だったんだ。演奏会が終わったら、坂本くんから一緒にやりたいと言われてね。
坂本くんと作品を作るときに、誰が言ったか憶えてないけど、機械の電気的なエコーじゃなくて、自然のエコーがいいということになったんです。それで、石の館でやるしかないということになって、石の館を探したんだけど、ないんだよね。あと、テープをつなぐのはやめようということにもなって。つぎはぎでやっていくのは音楽じゃないって。
ライブでは、ルネッサンス音楽と坂本くんの音楽を分けないで、ごちゃ混ぜにやったんです。坂本くんは太鼓叩いたり小さいオルガンを弾いたり、いろいろやってました。そのとき、彼は10年に1人の人だなと思いましたね。
そのころですよ、坂本くんに『ラストエンペラー』の話がきたのは。彼から満州事変を知らないから教えてくれと言われて。

—黒沢明監督の作品もやられていると聞きましたが。
ほとんど、やりましたよ。これはダルシマーではなくてマリンバとかで。黒沢明さんというのは、1週間の内、真ん中を休みにして、前半部分のチェックをする書き直しの時間を作るわけです。その書き直しの間に、深夜放送を聞いていて、いい曲が流れたりすると問い合わせるんですよ。そして、あの曲のようにと言われるわけです。結局もめて、1週間の日程が伸びるんですけどね(笑)。
黒沢明の音楽は佐藤勝が作ってたんですよ。彼は、もう亡くなってしまいましたが。僕は、彼と友達で。その佐藤勝のカバン持ちをやっていたのが、久石譲です。
ある日、佐藤勝さんから電話がかかってきて、「久石が今度映画をやることになったんだけど、あいつは映画音楽が初めてだから頼むよ」と言われて、それで『風の谷のナウシカ』の音楽の演奏をやったんだけど。結局、『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』まではやりましたよ。マリンバ弾いたり、ダルシマー弾いたり。
流行歌ですと、テレサ・テンの曲を一番やってましたね。中国の人だから、俺がいると揚琴(ヤンチン=中国のダルシマー)みたいで安心すると言うんですよね。

—生明先生がレコーディングでかかわった曲は、何曲くらいになりますか。
15,000曲くらいあるんじゃないかな。テレビを見ていて、古い録音でも「あ、俺だ」なんてわかるわけですよ。自分で弾いているからね。いずみたくさんの曲は、ほとんど弾いてます。「見上げてごらん夜の星を」とか。いずみたくさんとは、彼がCMをやりだしてからずっと一緒にやってます。「伊東に行くならハトヤ」までやってるからね。「マーブルチョコレート」もやったけど、もう流れてないね。いずみたくさんと六本木の道で会って、それから1カ月くらいで亡くなってしまった。彼が三木鶏郎さんから独立したころからの付き合いですから、そうとう古い付き合いですね。

—ほとんどの人が知らず知らず先生の音を聞いているわけですね。
CMも、ものすごい数やってますからね。八木正生の曲も、ほとんどやってます。たとえば、「ネスカフェ」とかね。
レコーディングは、1日に3曲か4曲、多いときは10曲くらいやるからね。千昌夫の「星影のワルツ」なんかもやりましたよ。

【作られたサウンドじゃダメなんです。個性をちゃんと持った音で、それが集まったおもしろさがないと】

—日本打弦楽器協会をはじめたきっかけは何ですか。

フランスなどには、ダルシマー奏者がいっぱいいるわけですよ。日本にダルシマー奏者がいないというのは、音楽の文化として欠落していると思うんです。ダルシマーが特殊な楽器だと思うようでは、まだまだだと思います。その欠落したものを埋めないといけないという使命感でやっています。だから、どんどん若い人にもやってもらいたい。初代会長の加納靖子先生を中心にダルシマーを広めたいというところからですね。

—弊誌は若い読者が多いので微力ながら貢献できたらと思います。
これを機会に少しでも打弦楽器・ダルシマーが普及していくといいなと思っています。

—打弦楽器の音を読者に説明すると、どういう音と言ったらいいでしょうか。
映画『犬神家の一族』のときに大野雄二という作曲家から相談があって、山奥の豪族みたいな一家の話だから土の匂いをさせたいと。打弦楽器を使うことによって泥臭くなって、音も神秘的な感じを出せるのではということになった。今になって考えてみたら、うまくいったと思いますよ。
いい曲ですしね。だから、打弦楽器の音は、泥臭くて神秘的な音と言えると思います。

—打弦楽器を始めたいと思ったら、どうしたらいいですか。まったくの初心者でも弾けるようになりますか。
そりゃあ弾けるようにはなりますけど、大変ですよ(笑)。でも、今は昔と違って楽器が簡単に手に入りますからね。ダルシマーがさりげなく曲に使われたりしたら、ある意味、音楽文化が高められると思いますよ。ダルシマーは、現代的な旋律の中でも違和感なく合うんですよ。普通に使ってほしいですね。神秘的な音がするので、隠し味的にね。テレサ・テンの曲なんて、そうですよ。何となく歌の間にポンと入っていて、何気なく使っている。ダルシマーを使うと、音楽の厚みが出ると思いますね。
「異邦人」では、間奏に少し入っているだけですよ。あれは、1度録音し終わったんですけど、レコード会社からどうしてもOKが出なかった。そのとき、アレンジャーが僕のところに飛んできて何とかしろと言うわけです。僕ができあがった曲を聞いて、即興で何通りか弾いたわけです。微量な音なんだけど、ダルシマーの音が入っただけでレコード会社がOKを出した。曲に色合いが出たわけです。もう今ではダルシマーの音が入っていないと「異邦人」ではないと言うくらいになった。
ダルシマーは、量としては少なくても、すごく性格が強い。だから、ディレクターなんかが聞くと「あ、変わった!」なんてすぐわかるわけですよ。そういう楽器というのは、おもしろいなと思いますね。完パケした後か

ら入れたなんて、おかしな話だけど。

—若いミュージシャンに向けて、メッセージなどはありますか。
音楽人口を増やして、もっと日本の音の文化を広げていかないといけない。ダルシマーを見て特殊な楽器だと言うのは、おかしいですから。
それから、音楽のジャンルをとやかく言っている時代じゃないと思うんですよ。日本の一番いけないところは、ロックが流行る、それがものの10年くらいで終わる。どんどん流行が変わっていってしまう。それを見ていると、日本の音楽はどうなってしまうのかという危機感があるわけです。日本独自のサウンドを作って、これからは世界に出て行かなくちゃいけない。そのためには、ジャンルじゃなくて、使えるものは何でも使って新しいサウンドを作っていく。そうじゃないと使い捨ての音楽になってしまって、それでは音楽家は恵まれませんよね。

—いろんなことを経験されている先生の言葉は重みがあります。
今は曲を聴いても、誰が弾いているかわからない。われわれの時代の音楽を聴くと、演奏家の顔が浮かびますからね。もうほとんど亡くなっていると思いますが。つまり誰でもできる演奏じゃなかったんですよ。作られたサウンドじゃダメなんです。個性をちゃんと持った音で、それが集まったおもしろさがないと。そのまま取り入れて、ものまねやっている限りダメなんですよ。僕は新しい音楽を聴くと、ものすごく魅力を感じるんです。「これは新しい!」「一緒にやりたい!」と。
どの楽器も、もっと気楽にやってみること。もっともっと日本の音楽を作っていかないとダメだからね。「これならウチの国にもあるわ」となったらダメなんですよね。パッと聴いて「これは何だかわからないけど新しいものだぞ」というものを作っていかないと、日本の音楽は活性化しないだろうし。ロックは結構だけど、一過性にならず、そこから何を作っていくか。日本には豊かな豊かな音の文化があるんですよ。出雲の民謡を書いたことがあるんですよ。そのとき、出雲にある倉庫を開けたら、ものすごい数の楽器があるわけですよ。その楽器をみんな持ち出してジャンジャンやって大騒ぎしていたのが、よくわかるわけですね。
若い人のために、何でもできることはやろうと思っています。

—今日は、ありがとうございました。これからも、ご指導よろしくお願いします。

(NOAHBOOK 井田和幸)