映画研究部NOAH

【インタビュー】映画と音楽 第10回「たまの映画」 その1

映画研究部NOAH Interview!
第10回 「たまの映画」
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平成の幕開けとともに巻き起ったバンドブーム。数多くのバンドがデビューしては消えていった中、異彩を放つ風体と楽曲でありながら、一躍お茶の間の人気者となったのが、たまだった。「さよなら人類」の大ヒットに驕ることなく、マイペースにバンドは活動。メンバーの脱退を経て、2003年に解散するまで独自の音楽を奏で続けた。解散から7年。たまのメンバーのうち、石川浩司、滝本晃司、知久寿焼の3人の今を追ったドキュメンタリー映画が完成した。題して、「たまの映画」。今回は、たまの元メンバーであり、現在もパスカルズなどで活躍する石川浩司氏その人にお話しを聞くことができた。
NOAHBOOK Vol.11では紙幅の都合で大幅にカット、面白い内容に反して編集をせざるを得なかったのだが、ウェブ版は全部で3回に分けて完全掲載! おもしろいです!

「たまの映画」公開記念! 石川浩司氏インタビュー!その1。
はじまり、はじまりーっ!
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—「たまの映画」を作ると決まったときはどう思われましたか?
まぁ、おかしな人もいるもんだなぁと思いました。デビューした頃だったら、いくらかお金にもなったと思うし、解散の頃なら、またいくらか盛り上がるけども。解散から7年も経って、記憶からも薄れているようなときに撮りたいというので、驚きましたよね。しかも、自主制作映画ならまだわかるんだけど、一応劇場で公開する映画として撮りたいということだったので。

—「現在」を撮りたいというのは、最初から言われていたことだったんですか?
そうですねぇ。っていうか「過去」はなかなか撮りづらいですから、はは。

—バンドのドキュメンタリーというと、当時の映像で振り返るというものが多いですが。
そうじゃないですね。もともと、たまが「バンドやろうぜ!」と集まってできたわけではないんです。メンバーそれぞれ、ソロでシンガーソングライターとしてやってきたのが集まってできたユニットだったので。んー、それがまた解散でソロに戻って。ずっとそれぞれで音楽活動してきてるので、途中たまという時期を通過したメンバーの今の状態を撮った映画になりました。

—いつもどおりの自分を見てもらうということですね。
そうですね。インタビューとかもありますけど、ライブを撮ってもらうわけだから。それはカメラがあるとはいえ、いつもの通り、お客さんの前でやるしかないっていうね。

—ライブでは、お客さんとの近さを楽しんでるように見えます。
それはもう、たま時代から。たまがデビューした直後は、大きなホールでしかできなかったんです。当時から自分たちには、そこそこの狭さのライブハウスが身の丈に合っていると感じていたので、メジャーの頃も、こっそり別の名前でライブハウスに出たりしてました。お客さんとの距離も、メンバーとの距離も近くなるし。原点を忘れないためにも、わざと狭い会場でやったりしてました。

—いま、石川さんがやっている出前ライブでは、お一人様からも受け付けていますね。
さすがに一名様のライブは経験ないけど、二名っていうのはありましたね。夫婦だったんですけど。わたしたちのためにやってくださいっていう。お二人だけがお客さん!

—近いと、気の小さいお客さんなんかはドキドキしながら見てると思いますよ。
いやー、でもこっちも緊張しますよっ。個に対してやらないといけないからね、その人の表情とかよく見えるしね。

—デビューした当時のイカ天から紅白出場までが、一年くらいです。その当時、有名なアイドル雑誌「明星」がバンドブームの記事を載せて、そこにたまが載っていたんですよ。
あったあった。今考えると考えられない雑誌に載ったんだよなぁ。おしゃれ系雑誌とかにも。
—そこで、いろんなバンドの方が「僕の好きな曲」というテーマで曲を紹介してたんです。そこで石川さんは突然段ボールの「ホワイトマン」という曲をあげていたんです。当時、光GENJIのファンとかが読む雑誌に突然段ボールという名前が載ったのは後にも先にもあの時だけだろうなと思います。
はは、「明星」の読者は誰も知らないよねぇ。

—とても強烈に印象に残りました。その1年は忙しかったですか?
ほんとに忙しかったのはその1〜2年だけですけど、やってるライブはそんなに前と変わらなかった。売れるためにこうしてくれってレコード会社から言われることもなかったです。他のバンドさんは結構言われたらしいんです。女性コーラスを入れてくれとかね。僕らは初めから、わけのわからないものだったから、レコード会社もなに言っていいかわかんなくて、「いつものようにやってよ」って。そこの制限をされなかったのはよかったですね。

—メジャー1枚目はセルフプロデュースですもんね。
いや、全部。人のプロデュースってあったかなぁ、いや、全部ですね。

—やっぱりそこがいつ聴いてもたまの音楽がちゃんと聴き手に伝わる理由かなと思います。
あー、でも、最初はとりあえず事務所に入ったんです。イカ天に出たときはメンバーの知久くんの家が連絡先だったんだけど、1日の留守電の件数が500件とか入っちゃって、聴くだけで朝になっちゃうの。到底、自分たちだけでは処理できなくなって、知り合いの事務所に入ったんです。2年ぐらいで落ち着いてきて、みんなでお金出し合って、会社を作って。ついでに事務所兼スタジオを作ったんです。最初はリハスタだけのつもりだったけど、そのうちレコーディングもするようになって。最初儲けたときのお金でこれらを作ってなかったら、そのあと、なかなか自分たちだけでレコードやCDを出し続けられなかったんじゃないかな。

—事務所の社長を誰にするかジャンケンで決めたとか?
そうなんですっ。誰も社長なんかやりたくないし、責任取りたくないから。でもね、負けたもんが社長っていうと縁起悪いからね、勝ったもんが社長になろうっていうことにして。そしたらベースの滝本君がね、ピースサインで。他の全員パーを出して一発で決まりました。パーを締めるのはピースだってね!

—やっぱり、自主レーベルのほうがやりやすいですか?
そうだねぇ。ただ、いろいろ自分たちでやってると、音作りとかはいいけど、宣伝とかはどうしても弱かったり、めんどくさい作業は、ある程度あります。でも、自分たちのペースでやれて、発売日も自分たちで決められる。普通レコード会社とかだと、2年で3枚とかを強引にでも出さなくちゃいけないですから。けど、こっちは曲ができたら出すっていう感じだから、精神的には楽でした。

—アマチュアのミュージシャンたちにとってうらやましい存在なんじゃないかなと思います。
とにかく、最初デビューして、ちょっとだけお金が入ったとき、みんなで、これは一時期のものだからって、ちょっと散財するのを抑えて。で、みんなでお金出し合って、会社作って、ついでに事務所兼スタジオを作ったんです。最初はリハスタだけのつもりだったんだけど、そのうちレコーディングもするようになって。最初儲けたときのお金でこれらを作ってなかったら、なかなか自分たちだけでレコードやCDを出し続けられなかったんじゃないかな。楽器がちょっと特殊でしょう。僕のパーカッションとか、ほかにオルガンとかもあるし。普通のスタジオ行くと、持ち込んでセッティングするだけで1時間かかっちゃうし、大変なんです。だから固定で置いておけるスタジオを自分で持ってると、すごい楽ですね。

—メジャーを離れて、メディア露出が減ることに抵抗はなかったんですか?
あんまりなかったです。僕なんかはプロモーションとか、そんなに苦じゃないですけど、他のメンバーは割りと苦手で、できればやりたくないと。でもメジャーでCD作るともう強引に朝から晩までスケジュール組まされるので、それがかなりしんどい。僕でも多少しんどかったから、そういうのが得意でない人にとっては、より辛かったろうと思います。だから露出が減っても、そのぶん、「やらなくていいんだーっ!」て。

—それでも解散まで、継続的にアルバムも出されてますもんね。
そうですねー、かなり出してますねー。

—僕の周りでは「ちびまる子ちゃん」に「あっけにとられた時のうた」が使われたときには、「まだやってるの?」って言う人が多かったです。でも聴いてる人は聴いてるし、観てる人は観てる。
そうですね。「ちびまる子ちゃん」のあとも、8年くらい続きましたから。そもそも自分達の好きなアーティストとかも、決してセールスの好調な人たちではなかったんです。自分たちがすこしアンダーグラウンドな音楽をやっているという意識もありましたし。要するに、デビューして1、2年の持ち上げられてた状態が、ちょっとおかしいよなこれって言ってたくらい。あとは自然な形に戻ったってだけです。

—売れていても冷静だったんですね。
まぁ、デビューした時点で28歳。そこそこ年を取ってたんで、これは一時のブームだからって。もっと若くて十代くらいだったら、周りに惑わされて、「僕たち、このままスター街道いけるかな?」とか変な勘違いしたかもしれないけど。4人が4人でお互い確認しあって、「俺たちが明星載るんだってよ」って笑いながらやり過ごして。

—その後も明星に「2枚目のアルバムを海外でレコーディング中」って載ってたのが記憶にあります。
2枚目と3枚目は海外レコーディングでした。当時はバブルが残ってるころで、スタジオ代がすごく高くて、1ヶ月くらい録音とかミックスとかすると、海外に渡航して録ってもかかるお金が変わらないんです。一番喧騒の状態のときだと、レコーディングしてても間に取材とかテレビとか入って来て、レコーディングに集中できないんですよね。気持ちがあっちいったりこっちいったりするので。場所によって気持ちのもっていき方も違うから。海外に行っちゃえばそういうのもないし、集中できるっていうか。あとは、単純に海外旅行気分が楽しいっていうか。はは。

—海外には、いろいろ行かれてますか?
まぁ、アフリカには行ってないけど、いまやってるパスカルズっていうバンドではヨーロッパへ5回ぐらい行っていますし、その前にたまでもフランスとアメリカとネパール行っています。パスカルズでは、一ヶ月くらい回りますね。

—ちゃんと聴く人は聴いていて、活動もパスカルズ、ホルモン鉄道とちゃんと継続してて、メジャーに頼らなくても音楽家としてちゃんとやってけているのは本当にうらやましいですね。
でも、ホルモン鉄道みたいに裸で腹叩いていても、大金持ちにはなれません! ただ、俺、別に大金持ちになるよりも、最低限暮らしていけるだけの収入さえあれば、おもしろいことだけやれて人生終われればいいなと思ってるから。

その2へ続く…)